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とっても愛してる

 

 

The world is a book, and those who don't travel read only a page.

                                                   

                                                                                                                         -Saint-Augustine

 

 

世界は本である。旅をしないものはたった1ページしか読まない。

   

                                        -セイント・オーガスティン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅に出れば出会いがあります。

出会いの中には一瞬のものもあれば、一生を左右するようなものもあります。

旅に出て感じるのは、運命の人と出会う時、一緒に過ごす時間の長さは関係ないということです。

 

私の大好きな国トルコには3度訪れています。

合計2カ月強滞在していました。

 

その初めてのトルコで旅を始めて3日目の話しです。

 

長距離バスに乗りました。

その時間の長さは22時間!!

 

その道中、私の座席の前と斜め前、それからずーと後ろの席に座っていた1つの大きな家族がいました。

その家族には4歳くらいの男の子と8歳くらいの女の子がいました。

4歳くらいの男の子は大変です。

まだまだ遊びたい盛りなのですから。。。笑

もちろん22時間のバスでじっとなんてしてられるわけがありません。笑笑

 

トルコの道路は日本みたいに短い距離でくねくねしている場所も少ないないですし

道もかなりフラットで乗り心地はとてもいいのですが。。。

 

あっ やっぱり!

じっとしないでずっと動き回っているから

席から落っこちて前の席に頭を打ってしまいました :(

 

トルコの方々は一般的に子供に対してとっても寛容なんです。

大家族の中で育った人や兄弟は少なくても親戚は多かったり、近所との付き合いが濃いということも影響しているのかもしれません。

公共の場所で子供が騒ぎまわっていても、まず怒る人はいないんです。

だから、頭をぶつけてしまった子供をみても

「あーぁ やっちゃったよ」 笑

くらいなもの 笑笑

 

でも、頭をぶつけた本人からすれば大惨事。

(おそらく)驚きと痛みで 「うゎーん うゎーん」と号泣し始めました。

 

私は近くで子供泣いているのをみていると、なんだかいたたまれなくなってきて、持っていたノートの1ページを切って鶴を折ってあげました。

 

 

するとその子が急に泣きやみました。

そして、それを見ていたその子のお姉ちゃんも私に興味を持ち始めました。

 

それから少しすると、その子たち2人は私たちの前の席にやってきました。

クルッと後ろの席を向き背もたれごしに覗きながら、

お姉ちゃんの方が覚えたての字で短い手紙を手渡してきました。

 

トルコ語で書かれたその手紙は当時の私には残念ながら読めませんでした。

それをずっと前の席に座っていたトルコ人の友人に翻訳してもらいながら私とその女の子との「会話」が始まりました。

 

すると今度は、さっきまで泣いていた弟がその様子を見て”konuş” (コヌーシュ)と時折声をかけてきます。

意味の分からなかった私と隣の席に座っていた私の友人(スロべニア人)は

徐々に強くなる口調と真剣な眼差しに

「もしかしたら、悪口を言っているのかもしれないね」

なんて冗談を言っていました。 笑笑

 

 

そんな彼に"Merhaba"(メルハバ:こんにちは)というと

びっくりして少し怪訝そうな顔でこっちを見いました。

その子をその父親がなだめるように何かを話しかけました。

男の子は不思議そうな顔を浮かべたかと思うとにわかに笑顔を取り戻し、

椅子を使ってかくれんぼのような遊びを始めたのでした。笑笑

 

 

 

 

 

後々分かったことなのですが

”konuş”(コヌーシュ)とは「話して」という意味だったのだそう。

おそらく彼が他の言語を話す人が世界にはいるということを知るにはまだ幼すぎたのでしょう。

冗談でも悪口だと思った大人の醜さに反省するのでした。。。


そんな22時間の旅も過ぎてしまえばあっという間です。

ついにお別れの時がやってきました。

 

お姉ちゃんが最後の手紙を私に見せててきました。

それをトルコ人の友人に見せると

その友人はこう翻訳しました。

"I love you very much" (あなたのことをとても愛してる

 

・・・

突然の告白に私は

awwwwwww

と言いたいところですが。。。

唐突な出来事に動揺を隠せませんでした。

 

真顔で言う女の子と、

それを聞いて少し驚いている私を

「どうしたのよ?!」という顔で見てくるトルコ人の友人。

おそらくアメリカ英語のいわゆる(日本的には)軽い I love you
と同じ感じかな

と思うことにし
"I love you too"

と返しました。

 

この時の I love you very much ( Seni çok seviyorum : セニ チョック セヴィヨルム)
という気持ちを当時の私が知れていたらどんなに素敵だったのだろうと

この地域の人と話す時、今は思います。

後になって知ったのですが、トルコ語やお隣国のジョージア語にはI love you の訳が1つではなのだそう。

1つは家族や友人等に使う表現(トルコの場合先ほど出てきた ”Seni seviyorum” セニ セヴィヨルム)

もう1つは恋人にしか使わない表現

しかし、英語に訳すと I love you にしかならないのだそうです。

(I like you とはまた違うそうです。)

 

これらの国に滞在して思うのは、人々が自分の感情にとても素直であるということです。この「愛してる」の意味、私は日本にいる間は気付けませんでした。家族や友人を愛していなかったのかと聞かれれば、もちろんそんなことはありません。とっても大切に思ってました。それは言葉を変えれば「愛」なのです。それに気づかせてくれたのはこの時出会った小さな子供達でした。

 

そして、彼らがもう一つ教えてくれたことがあります。それは、旅の途中積極的に人と関わるということです。親友を作れと言ってるわけではありません。ドキドキしながら相手の顔色を伺う必要もありません。自然に思ったことを口に出したり、行動に出せばいいだけのことなんです。

 

声をかければ、返してくれる人がいる。

心を開けば、相手も心を開いてくれる。

と教えてもらった22時間の旅でした。

 

 

 

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バスから見た名も知れない場所の朝焼け